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北方領土の概要

1北方領土とは

北方領土は、北海道本島の北東洋上に連なる、歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島からなる島々で、北方四島とも呼ばれています。
北海道本島に一番近い貝殻島は、根室市の納沙布岬からわずか3.7kmしか離れておらず、最も北東の択捉島でも納沙布岬から144.5kmの距離に位置しています。
北方領土は日本国民が父祖伝来の地として受け継いできたものでありまた、北海道(根室振興局)の所管区域の一部であるなど、古くから現在に至るまで日本固有の領土です。

根室半島上空から望む歯舞群島の画像 根室半島上空から望む歯舞群島

2北方領土問題とは

北方領土である北方四島にはかつて外国人が定住した事実がなく、歴史的に見ても一度も外国の領土になったことがない、我が国固有の領土であり、国際的取決めからも我が国に属する領土であることは明らかです。
ところが、第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効(1946年4月まで有効)であった日ソ中立条約を無視して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏の意図を表明した後の8月28日から9月5日までの間に、北方四島の全てを不法に占領しました。
その後、ソ連は北方四島を一方的に自国の領土に編入し、日本人の島民を強制的に追い出しました。今日に至るまで法的根拠なく占拠を続けており、北方領土は日本でありながら日本人の住めない島々になってしまいました。
このようにロシア(旧ソ連)が我が国の領土である北方四島を法的根拠なく占領し続けていること、これが「北方領土問題」です。
北方領土問題の解決は、日本とロシア両国間の最大の懸案事項です。

日本政府はロシア政府との間で北方四島の帰属に関する問題を解決して平和条約を締結すべく、粘り強く交渉を行っています。

3北方領土返還要求の根拠

日本政府は、北方領土の返還を、(1)歴史的事実と(2)国際法上の根拠という二つの根拠に基づき要求しています。

(1) 歴史的事実

・北方領土にはかつて外国人が定住した事実がなく、また外国の支配下にあったこともなく、18世紀末からは江戸幕府の直轄地として日本人の手によって開発された。


・この事実を踏まえて、1855年(安政元年)締結された「日魯通好条約」においては、日露国境を択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に設定することとした。


・日露国境の再編をした1875年(明治8年)の「樺太千島交換条約」では、樺太の一部に対する権利を譲り渡し、ウルップ島からシュムシュ島に至る18の島の領土権を取得した。

(2) 国際法上の根拠

・連合国は、第2次大戦の処理方針として領土不拡大の原則を度々宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれている。この原則に照らすならば、我が国固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しない。


・1951年のサンフランシスコ平和条約で我が国は、千島列島に対する領土権を放棄しているが、我が国固有の領土である北方領土はこの千島列島には含まれていない。このことは、樺太千島交換条約の用語例があるばかりでなく、米国政府も公式に明らかにしている。


※米国政府は1956年9月7日付けの国務省覚書で「択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものである」との公式見解を明らかにしています。


以上の根拠は、北方四島が日本固有の領土であり、ロシアの占拠が何ら歴史的、法的根拠に基づかない不法なものであることを明確に示すものとなっています。


4北方領土の戦前の姿

終戦時には、歯舞群島は北海道根室半島に本村を有していた歯舞村(昭和34年根室市に編入、合併されたため現在は根室市)の離島であり、色丹島には色丹村、国後島には泊(とまり)村および留夜別(るやべつ)村、択捉島には留別(るべつ)村、紗那(しゃな)村および蘂取(しべとろ)村が置かれていました。
また、北方海域は、千島寒流と対馬暖流が交錯しているため豊富な水産資源に恵まれました。

(1)歯舞群島

歯舞群島は、貝殻島(かいがらじま)、水晶島(すいしょうとう)、秋勇留島(あきゆりとう)、勇留島(ゆりとう)、志発島(しぼつとう)、多楽島(たらくとう)など、大小の島々から成ります。
北方四島の中でも特にコンブやノリ、ギンナンソウなどの採取が盛んで、四島の約8割を占めるコンブを生産していました。また、カニ、サケ、マス、エビなども豊富で、缶詰工場も複数ありました。

戦前の志発島(缶詰工場)
(2)色丹島

色丹島は、比較的なだらかな山と丘陵が続いていて、湖沼も多く、海岸には深い入り江があり、島全体に高山植物が見られる美しい島です。
主産業は「千島海苔」の採取と捕鯨で、斜古丹湾には大きな捕鯨基地があり、色丹の捕鯨は東洋一と呼ばれるほどでした。

戦前の色丹島(斜古丹)
(3)国後島

国後島は、千島火山脈が島を縦断し、四島の中で最高峰、世界で最も美しい二重火山の一つと呼ばれる爺爺岳(ちゃちゃだけ)など高い山々が連なり、温泉も湧き出ています。
終戦時、四島の中で最も多い7,000人以上の日本人が暮らしていました。
多くの人が漁業に従事し、製材業や冶金精錬業、畜産業など多彩な産業が営まれていました。

戦前の国後島(古釜布市街)
(4)択捉島

択捉島は、北海道本島・本州・四国・九州を除くと日本で一番大きな島で、島の北端(北緯45度33分)であるカモイワッカ岬は日本の最北端です。
サケやマスなどの水産資源に恵まれ、四島全体の4~5割の水揚げを誇っていたようです。サケ・マスの人工ふ化場が9カ所もあったほか、内岡港(なよかこう)は捕鯨基地として有名で、加工場や缶詰工場が並んでいました。

戦前の択捉島(紗那市街)

5北方領土の位置、面積

面積(km2 北海道本島からの距離(km) 1945年当時の
人口(人)
択捉島えとろふとう 3,167.8
km2
144.5
km
3,608
国後島くなしりとう 1,489.9
km2
16.0
km
7,364
色丹島しこたんとう 250.6
km2
73.3
km
1,038
歯舞群島はぼまいぐんとう 94.8
km2
(貝殻島までの距離)
3.7
km
5,281
合 計 5,003.1
km2
17,291
※面積は「令和3年全国都道府県市区町村別面積調」による。
※距離は、根室半島・納沙布岬(国後島は野付半島)からのもの。