北方領土問題の歴史
北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)
日魯通好条約
日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。日露両国は、1855年、日魯通好条約において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。樺太千島交換条約
日本は、樺太千島交換条約により、千島列島(=この条約で列挙されたシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。ポーツマス条約
日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。大西洋憲章(1941年8月)及び
カイロ宣言(1943年11月)における領土不拡大の原則
1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。 また、1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。ただし、北方四島がここで言う「日本国が略取した」地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です。
ポツダム宣言
ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。
サンフランシスコ平和条約
日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。
日ソ・日露間の平和条約締結交渉
日ソ共同宣言
歯舞群島及び色丹島を除いては、領土問題につき日ソ間で意見が一致する見通しが立たず。そこで、平和条約に代えて、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名しました。→平和条約締結交渉の継続に同意した。
→歯舞群島及び色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことにつき同意した。
日ソ共同声明(ゴルバチョフ大統領の訪日)
日ソ共同声明において、ソ連側は、四島の名前を具体的に書き、領土画定の問題の存在を初めて文書で認めました。東京宣言(エリツィン大統領の訪日)
東京宣言において、(1)領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、
(2)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化し、
(3)領土問題を、1)歴史的・法的事実に立脚し、2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び、3)法と正義の原則を基礎として解決する、との明確な交渉指針を示しました。
また、東京宣言は、日本とソ連との間の全ての条約その他の国際約束がロシアとの間で引き続き適用されることを確認しました。
イルクーツク首脳会談(森総理・プーチン大統領)
イルクーツク声明において、
(1)1956年日ソ共同宣言を交渉プロセスの出発点と位置付け、その法的有効性を文書で確認しました。
(2)その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの日露共通の認識を再確認しました。
(1)1956年日ソ共同宣言を交渉プロセスの出発点と位置付け、その法的有効性を文書で確認しました。
(2)その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの日露共通の認識を再確認しました。
小泉総理の訪露
(1)共同声明において、両首脳の間で、四島の帰属の問題を解決し、平和条約を可能な限り早期に締結し、もって両国関係を完全に正常化すべきとの「決意」を確認しまし た。(2)「日露行動計画」において、1956年日ソ共同宣言、1993年東京宣言、2001年イルクーツク声明の3文書が具体的に列挙され、その他の諸合意と併せ、今後の平和条約交渉の基礎とされました。
安倍総理の訪露
(1) 共同声明において、戦後67年を経て日露間で平和条約が存在しないことは異常であるとの認識を共有し,双方の立場の隔たりを克服して,2003年の共同声明及び行動計画において解決すべきことが確認されたその問題(四島の帰属の問題)を最終的に解決することにより平和条約を締結するとの決意を表明しました。(2)平和条約問題の双方に受入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させるとの指示を両国外務省に与えることで一致しました。
シンガポールでの首脳会談
安倍総理とプーチン大統領は、2016年12月の首脳会談以降、新しいアプローチの下での協力の積み重ねにより培われた信頼の上に、 「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」ことで合意しました。日露首脳電話会談(岸田総理・プーチン大統領)
2018年のシンガポールでの合意を含め、これまでの両国間の諸合意を踏まえて、しっかりと平和条約交渉に取り組んでいくことを確認しました。
政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの基本方針の下、
ロシア側との間で交渉を続けています。